今回は2022年9月30日に死去された三遊亭円楽さんの若い頃について取り上げます。
三遊亭円楽さんは大学在学中に入門して72歳まで人気落語家として活躍しました。
昔の人は三遊亭楽太郎さんの名前の方が馴染み深いかもしれません。
そんな三遊亭円楽の若い頃はどんな感じだったのでしょうか。画像を交えて振り返ってみます。
三遊亭円楽(楽太郎)の入門したころは?
三遊亭円楽さんは1950年東京の両国育ち。
1970年に青山学院大学法学部在学中に、5代目の三遊亭円楽に入門し「楽太郎」という名をもらいます。
青学出身なのでお坊ちゃまかと思いきや実家は経済的にくるしく、アルバイトで学費や生活費を捻出していたそうです。
三遊亭円楽さんは落語研究会に在籍していて、つてがあったのでしょう5代目三遊亭円楽の鞄持ちのアルバイトに志願して、師匠の勧めでそのまま入門して弟子になったということです。
ちょっと小栗旬さんに似ているでしょうか?若い頃は爽やかでハンサムな好青年って感じですね。
三遊亭円楽の楽太郎時代!笑点登場!
三遊亭円楽さんは1976年に二つ目に昇進。六代目三遊亭園窓の公認として1977年に27歳のときに「笑点」の大喜利メンバーになります。
現在どおり薄紫の色の着物ですね。
このころの写真がこちら。司会がまだ三波伸介さんですよ。懐かしい人には懐かしいですね。
「生意気な若手イケメン枠」というこちらの方の言葉がピッタリの役回りでした。
↓はそのころの円楽さん。1977年頃のマクドナルドのCMにsy杖んされています。27歳ごろですね。
落語家さんにはやはり珍しいイケメン扱い。
こちらは1985年ですから35歳のころの三遊亭円楽さんです。
バイクのCMも!やっぱりイケメン枠だったんですね。
楽太郎さん時代は大学出の落語家さんも珍しかった時代でインテリ芸人って感じでした。
三遊亭円楽(楽太郎)は「暴れん坊将軍」にも出演!
三遊亭円楽さんは暴れん坊将軍に1994年から1997年のⅥ、Ⅶシリーズにめ組小頭卯之吉役で出演されています。
三遊亭円楽さんは他にもいろいろなドラマに出演されています。芸達者な方ですよね。
三遊亭円楽(楽太郎)は瀬古選手と似ている!ものまねをしていた!
三遊亭円楽さんは若手時代、マラソンの瀬古利彦選手に顔が似ているとされており、テレビで瀬古選手のモノマネをしていました。
しかし35歳を迎える1985年正月より「落語で勝負したい」ということで瀬古選手の物真似を封印したそうです。
確かに顔が似てますね。
三遊亭円楽(楽太郎)といえばゲートボール!
三遊亭円楽さんといえばゲートボールのイメージも強かったようです。
1983年4月から1986年3月までテレビ朝日系で放送された「おはようゲートボール」の司会やゲストへのゲートボールの指導や審判もやっていました。
三遊亭円楽さんも最初は年寄りのやることと思っていたそうですが、ゲートボール線も真のレポーターを頼まれたことがきっかけでやってみると面白くてハマってしまったそうです。
この番組日曜朝8時にやっていたそうですが視聴率2桁もいった大人気番組だったんです。
三遊亭円楽の若い頃(楽太郎)の落語動画!
そして三遊亭円楽さんと言えばやはり落語!できるだけ若い頃の落語の動画をYouTubeから探してみました。
落語家としてタレントとして大活躍した唯一無二の三遊亭円楽さん。
三遊亭円楽さんのご冥福をお祈りいたします。
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