今回は作曲家の宅見将典さんについて取り上げます。
宅見将典さんは2023年2月5日に第65回グラミー賞の最優秀グローバル・ミュージック・アルバム賞をアルバム「Sakura」で受賞されました!これは世界に認められたということですごいことですね!
宅見将典さんは歌手の西城秀樹さんの甥でお姉さんの息子さんだということです。
さてそんな宅見将典さんの家族について調べてみると父親もまた有名人だったようです。
宅見将典さんの父親について調べてみました!
宅見将典の父親は誰?宅見勝で山口組若頭!
宅見将典さんはアメリカ音楽界の最高の栄誉とされる第65回グラミー賞の授賞式が2月5日におこなわれ最優秀グローバル・ミュージック・アルバム賞に作編曲家の宅見将典さんが選ばれました。
米音楽界最高の栄誉とされる第65回グラミー賞の授賞式が5日(日本時間6日)、ロサンゼルスで行われ、最優秀グローバル・ミュージック・アルバム賞に、作編曲家の宅見将典さん(44)が「Masa Takumi」名義で出したアルバム「Sakura」が輝いた。
https://news.yahoo.co.jp/articles/e9f03355846c1bbe4644acf9a007e666b9bbf1ea
そんな宅見将典さんは大阪府出身の作曲家、編曲家、音楽プロデューサーとして広く活躍されている方だそうです。
また歌手の西城秀樹さんのお姉さんの子で甥っ子だということです。
そんな宅見将典さんについて検索すると・・・
「宅見将典 父」ということで
「へえ、宅見将典さんのお父さんってどんな人なんだろう?」と
調べてみると意外な話がでてきて驚きました。
なんと宅見将典さんのお父さんは暴力団の山口組の若頭だった人で相当有名な人物だということです。
宅見勝という人で山口組の幹部として相当有名な人物でしかも抗争で射殺されたということです。
息子さんである宅見将典さんってなんか壮絶な人生を送ってそうですね。
今回は宅見将典さんの父親であるという宅見勝氏について調べてみました。
宅見将典の母親(西城秀樹の姉)と宅見勝の関係は?愛人関係か?
宅見将典さんの母親で西城秀樹さんの姉は木本絵里子さんと言います。9歳年上のお姉さんで西城秀樹さんのデビューにとても尽力されていました。
そして噂では木本絵里子さんは宅見勝の愛人だったのではないかと言われています。おそらく木本絵里子さんが大阪のクラブでホステスをしていた時に宅見勝氏と知り合ったのではないかという噂です。
いわゆる極道の女ですね。
宅見勝氏には本妻がいたそうですので愛人ですね。絵里子さんは結婚歴があり当時4歳の女の子がいたということです。
そして1979年に男の子が誕生します。こちらが宅見将典さんで宅見勝氏の息子だと思われます。
宅見勝氏は下っ端の頃から苦労した人生を支えてくれた本妻と離婚することはせず愛人である絵里子さんと生活しながらも本妻宅に週1ぐらい帰っていたということです。
そして愛人である絵里子さんや息子に対してもちゃんとしなければと思ったようで
1982年に父方の伯母と絵里子さんを養子縁組させて絵里子さんに宅見姓を名乗らせたという噂
ということです。愛人や子供を認知して内縁の妻としての立場をちゃんと認めたということでしょうね。ということで宅見将典さんは宅見姓を名乗っているようです。
宅見勝(暴力団山口組の若頭)について調査!
宅見将典さんの父親という宅見勝氏。
確かにちょっと顔が似ていますね。
宅見勝氏について簡単にプロフィールをまとめると
宅見勝氏は1936年生まれ。兵庫県神戸市に生まれます。幼い時に父親が他界し、母親も中学校の時に死去。
母の姉に引き取られ学力優秀で名門進学校の大阪府立高津高等学校に進学しますが、居候で肩身が狭かったのか高校を中退して伯母の家を出ます。
そして和歌山の那智勝浦周辺の遊郭街のボーイをしていた時に近所の女性と駆け落ちして大阪に出てきます。
大阪で世帯を持っていた時に近所に住んでいたヤクザと親しくなり19歳の時にヤクザ社会に足を踏み入れたそうです。
その後組員となってから頭角をあらわしていき、山口組の傘下の福井組組長から声がかかり福井組に入ります。すぐに福井組で実力を発揮して若頭補佐になりました。
そして1970年には大阪ミナミの千日前に宅見組を開きます。そして山口組三代目の若頭山本健一と親しくなり、三代目山口組組長から盃をもらって山口組直参に昇格!とぐんぐんと山口組の中で偉くなっていきました。
詳しいことは省略しますが三代目の田岡組長の死後、山口組の相続でいろいろ揉めたようですが1989年に5代目山口組組長に渡辺芳則を据えて自身は山口組若頭(ナンバー2)に就任。
宅見勝氏は山口組若頭補佐の中野太郎会長襲撃事件を勝手に納めたことで中野太郎氏の恨みを買い、1997年8月28日に中野会の組員に神戸オリエンタルホテルのティーラウンジで銃撃されて死亡しました。
この時流れ弾にあたって一般人の男性が死亡したことでも話題となりました。
宅見勝氏はなくなった時は61歳でした。
ちょうどバブル期でもあり金融やフロント企業などを使って2000億円ともいわれる資金を背景に5代目山口組発足の立役者として有名になったということです。
山口組を昔ながらのヤクザから近代的な組織にして「山口組の金庫番」と言われる実力者だったそうです。
暴力団のことを礼賛するのもどうかと思いますが、宅見勝氏はすごいやり手で一般人にもよく知られていた暴力団員だったわけですね。
宅見将典氏は1978年生まれなので宅見勝氏が死んだ時は19歳。
いろいろと壮絶な人生があったのではないかと思いますが現在は作曲家や音楽プロデューサーとして成功しグラミー賞まで取ったのですから父親ゆずりのやり手で頭が良い人なのでしょうね。
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