今回は歌手の杏里さんを取り上げます。
歌手の杏里さんとえいばシンガーソングライターで「キャッツアイ」や「オリビアを聞きながら」などの局が有名ですね。シティポップのクイーンとしてグローバルに活躍しています。
そんな杏里さんのお父さんについて今回は調べてみました。
杏里さんのお父さんはなかなか厳しい人だったらしく杏里さんもインタービュー等で語っています。いったいどんな方だったのでしょうか?また放火&自殺というショッキングな噂もありました。本当なのでしょうか?
杏里さんのお父様について調べてみました。
杏里(歌手)の父親は?実業家で温泉経営もしていた!
歌手の杏里さんのプロフィールを簡単にまとめると以下のようになります。
歌手の杏里さんは神奈川県大和市の出身。1978年に高校2年生の時に「オリビアを聞きながら」でデビューしています。
兄が3人いて末っ子でした。
杏里さんのお父さんは黒部ダムの建設に関わり、建設業、生コンクリートの製造、温泉採掘と次々と事業を立ち上げたエネルギッシュな人だったということです。実業家で実家は結構お金持ちだったんでしょうね。
温泉を採掘し神奈川県大和市に温泉を湧き出させ「中央林間ハッピーランド」という温浴施設を経営していました。(ハッピーランドは経営者を変えて「らいおんハートの湯」になり現在は閉館しています)
杏里さんは大変なお父さん子で父親にどこでもついていき、学校を休んで全国を旅したり銀座のクラブまでついていって退屈で外に出て迷子になったこともあったそうです。
お父さんも末娘の杏里さんが可愛くってしょうがなかったんでしょうね。
杏里(歌手)の父親が兄の家に放火して自殺の噂を調査!
歌手の杏里さんのお父さんについて調べていると
杏里の父は兄の自宅に放火した後に橋から飛び降り
というショッキングな噂がネット上にかかれていました。
びっくりするような内容ですね。
杏里さんのお父さんが2000年に亡くなったのは杏里さんがインタビューで答えているので事実のようです。しかも急逝したということです。
――そのお父様は2000年に急逝します。
「アルバムを次々出し、ツアーを続けた1980~90年代、私は米ハワイ公演を含め全てのコンサートに父母を招待していました。旅好きな両親への親孝行でもあったのです。そんな時の父の感想は『声が出てたな』『すごい人数だったな』など短いものばかり。母経由で知りましたが、私にはそれで十分でした」
「父の死はレコーディング中の米国で知りました。大きな悲しみと喪失感の中、2日間だけ帰国してすぐにレコーディングに戻りました。仕事を投げ出さない責任感、一度決めたら続ける力、臆さず新しいことに挑戦する心など、私が父の背から学んだことはたくさんあります。それは40年ステージを降りていない今の私を支えています」
https://style.nikkei.com/article/DGXMZO44778820U9A510C1KNTP00/
とはいえインタビューで杏里さんはお父さんの思い出を良い思い出として語り、死についてもきちんと話されているのでそんなショッキングな死因ではないように感じられます。
いろいろニュースを調べましたが、杏里さんのお父さんが放火や自殺をしたというニュースソースは見つけられなかったのでネット上のデマの可能性も高いです。
また詳しいことが分かり次第追記していきたいと思います。
杏里(歌手)の父親は厳しい父親!
杏里さんのお父さんはとても厳しくて食事の時に「ちゃぶ台返し」があったということです。昭和の時だからさもありなんですね。
小中学校から帰宅後には外出禁止だったということです。
父親が決めた人と25歳までに見合い結婚しろと言われていたということです。
昭和っぽいお父さん像が目に浮かびますね。
杏里さんが61歳ですからご存命だったとしても90歳以上にはなる方でしょう。激動の昭和時代を生きて、高度成長期をエネルギッシュに働いた感じのお父さんですが、現代ではなかなか受け入れられないかもしれませんね。
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