鈴芽が実は死んでいるのではないか?という説もある、映画「すすめの戸締まり」なんですけど、元気そうに見えるヒロインが実は死んでる?ってどういう事なのか気になりますよね!
実際に「すずめの戸締まり」の原作作小説も読みましたが、「鈴芽は死んでいてお母さんが行きているのでは?」という疑問を持ちながら読み進めてみると、辻褄がある部分もいくつか有るんです!
今回は、新海誠監督の最新作!映画「すずめの戸締まり」から、気になる部分!「鈴芽は実は幼少期に死んでいて幽霊なのではないか?」という説について取り上げていこうと思います。
最後まで読んで貰えたら嬉しいです。
【すずめの戸締まり】鈴芽が4歳で死んでいる説とは?
「すずめの戸締まり」のストーリーを小説で読んでみました。
そこでわかることは
- 鈴芽は宮城県で4歳の時に東日本大震災に被災し母親は津波で亡くなった
- 鈴芽は4歳の時に常世への扉から来た未来の17歳の鈴芽と出会い、印象に残っていて夢で何度も見ている。鈴芽はそれを自分の母親と思っていた
- 鈴芽の母親はシングルマザーで叔母の環が鈴芽を引き取って宮崎県で育てた
ということですが・・・
私はふと「もしかすると死んでいるのは鈴芽」鈴芽は幽霊ではという大どんでん返しを考察しました。(※わかる人にはわかると思いますが例のハリウッド映画と同じオチです。ネタバレになるので気になった方はリンクのウィキペディアを見てみてください)
「すずめの戸締まり」の荒唐無稽なストーリーは鈴芽が死んでいて魂が成仏できずにいる死後の世界とだとするといろいろ辻褄があうと思うからです。
まず私が鈴芽の戸締まりで違和感を感じる点は以下です。
【すずめの戸締まり】の違和感を感じる点
- 鈴芽の祖父母が一切でてこない点
- 鈴芽の父親が一切出て来ないのは母親が不倫の末に妊娠して出産した私生児で全く認知もされていないと推測できるが、まだ若いのに母親の両親である鈴芽の祖父母は60代ぐらいと考えられる。年齢的にはまだ元気であるだろうし祖父母が両方すでに亡くなっているという設定は無理がないか?叔母の環が鈴芽を引き取る前に祖父母が鈴芽を引き取るべきだろう
- 叔母の環が宮城県から遠く離れた九州の宮崎県で漁港で長年働いているのが謎?
- 東北から東京などの大都会で働くならわかるが、なぜ環は九州の田舎で漁港で働いているのか?しかも鈴芽を引き取っても実家は放置して九州に行き二度と実家に行ってないのはおかしくないか?
- 鈴芽が訪ねる地が廃墟であり過去に死者が多数出る大災害が起こっている点
- 愛媛の千果の場合は2018年の西日本豪雨、神戸のルミさんは阪神淡路大震災に被災したと考えられる
- 鈴芽の旅に次々と助け手が出てきて比較的スムーズに進む点
- ご都合主義がすぎる!
- 猫のダイジンが数時間後にSNS上で有名になって鈴芽が行き先をたどれる点。
- 場所が愛媛の八幡浜でインフルエンサーもいない過疎地域にもかかわらずたいした内容ではないのにバズるなど現実的ではなない
- 草太が椅子に姿を変えられほぼ道中椅子のままという点
- 草太は何者なのか?
- 草太の祖父は出るが両親が出てこない点
- 草太が一件落着した後すぐに鈴芽らと別れて関係性が続かない点
これらのすずめの戸締まりの違和感は鈴芽が死んでいる説をとると解決するということに気づきました。
すなわち鈴芽が4歳死んでいるという説をとるとすると「すずめの戸締まり」は以下のようなストーリーになります。
【鈴芽が4歳で死んでいる説】
鈴芽は4歳の時、保育園にいる時に東日本大震災の津波に逢い死亡してしまいます。(実際、東日本大震災では保育園で親に引き渡せなかった園児らが津波で逃げ遅れ死亡する事例がありました)
鈴芽は保育園で母親のお迎えを待っていたけれども、母親はいつまでも迎えにこなかったというのは、母が死亡したのではなく鈴芽が保育園で津波から逃げ遅れて死亡したのです。
しかし鈴芽の魂は成仏できずに死後の世界で成長して17歳になっています。
そして叔母の環が鈴芽を引き取って育てますが環も死者です。
叔母の環は東日本大震災より以前に九州の宮崎県で死亡しているのではないでしょうか。
環は宮崎県で旅行中に事故に巻き込まれて死亡、あるいは宮崎県の海で自死したなど、なにか穏やかでない理由で宮崎県で死亡してこちらも成仏していないのです。環は20代前半で死亡し結婚や出産という幸せを手にできなかったことでこの世に未練を残しています。
東日本大震災で鈴芽が死亡した時に、環は鈴芽を引き取り死後の世界で鈴芽を育てています。この世に未練を残しているのを鈴芽を育てているから自分は女性としての幸せを我慢しているのだという気持ちにすり替えて納得しています。
そして草太は鈴芽の魂を成仏させるために現代日本のこの世から来た霊媒師でただ一人死者とコンタクトできる生者です。
しかし草太は長い間死者とコンタクトし続けることはできず、椅子という形で鈴芽とコンタクトをとっています。
そして扉を閉じてミミズを封じるという冒険譚を通して、死者である鈴芽の東日本大震災の記憶を呼び戻して、地震という暴力的なものに対する恐怖に打ち勝ち、過去の母親との思い出を正常化して成仏できるように助ける存在となったのでした。
鈴芽が旅の途中で出会う人々もまた死者です。千果は愛媛で西日本豪雨により家が土砂崩れで生き埋めとなり死亡しています。
ルミさんら神戸の人々は阪神淡路大震災で死亡している人たちです。
また草太の祖父もすでに死んでいるか、延命治療中でほとんど意識もなく病院に入院している老人でしょう。
また車に乗せてくれて東北に一緒にいく芹澤さんもまた死者です。芹澤さんはおそらく草太の友人で事故か病気で早逝した人物なのでしょう。BL展開なら芹澤さんは草太が好きだったので未練があり成仏できないのかもしれません。
草太は鈴芽が成仏できたと感じて鈴芽の前から立ち去ります。鈴芽は宮崎県に環と戻りまた日常がもどりますが、それはもう以前の世界ではなく穏やかな死後の世界です。そこにはミミズもおらず常世への扉もありません。
草太は死者と長時間コンタクトを取り続けることはできないためにすぐに鈴芽らの前から姿を消します。その後一度鈴芽は草太に出会いますがそれは本当に草太だったのかわかりません。
という感じで「すずめの戸締まり」の鈴芽らが死者である説のストーリーをまとめてみました。
【すずめの戸締まり】鈴芽の母の方が実は存命説
鈴芽がすでに死んでいる説だとすると、逆に死んでいるとされる母親の方ば存命しています。
【生きている鈴芽の母親のストーリー】
鈴芽の母親は東日本大震災の時に看護師という仕事がら保育園に娘をすぐに迎えにいくことができず、鈴芽を津波で亡くしてしまいます。
鈴芽の母親はそのことでずいぶん自分を責めたことでしょう。
鈴芽の母親はおそらく不倫の末に鈴芽を妊娠出産し、鈴芽の父親である男とは別れてひとりで娘を育てています。
鈴芽の母親の両親も健在でしたが不倫の子で私生児を生んだ娘に対しては理解がなく、東日本大震災までは没交渉でした。
鈴芽の母親は心の拠り所となるたったひとりの娘を亡くした痛みからなかなか立ち直れなかったことでしょう。
癒やされない心の痛みや自責の念は12年の時を経てようやく落ち着いてきて、せめてスピリチュアルなものを通してでも鈴芽の死を受けいれて、前向きに生きようという意思が芽生えました。
そんな時に鈴芽の母親は霊能力者の草太と出会います。
草太は死後の世界での鈴芽について語り、鈴芽は死後の世界でも東日本大震災で突然失われたものや母親との別離に対して納得できず成仏していないと告げます。母親は草太に鈴芽の魂を鎮魂するお願いをします。
そこで草太は死後の鈴芽に逢い「閉じ師」というストーリーで鈴芽の心の扉を開き、その中の悪いものを退治してまた閉じるという行為にでるのでした。
そして物語の外で鈴芽の母親の喪失感や絶望も「閉じ師」の草太によって解決して閉じられたのかもしれません。
【すずめの戸締まり】草太は霊媒師説?死者とこの世をつなぐ存在?
この物語の中で草太は教育学部に在籍し教員になろうとしている大学生であり「閉じ師」を自称しています。(実際教員になる人は副業的に神社の神主をしている人が多いです)
実際、鈴芽が死者という設定の中では、草太の「閉じ師」は実は死者とコンタクトがとれる霊能力者(霊媒)です。
草太は家系的に霊感が強く、ファミリービジネスとして「閉じ師」と称して霊能力者をやっているのではないでしょうか。
「閉じ師」は扉の開け締めや常世、要石などの言葉やイメージを用いて人々の悩みを解決し、病を癒し、死者の魂を成仏させる行為をしているのでしょう。
草太はクライアントから謝礼として祈祷料的なものをもらっているのではないでしょうか。
そして鈴芽の旅はかつて草太が「閉じ師」として成仏させた人々の霊に助けてもらいながら東北に向かって進んでいったのではないでしょうか。
ということで実際の映画「すずめの戸締まり」を鈴芽は実は死んでいたという説について考察いたしました。
そういう目でもう一度「すずめの戸締まり」の映画を最初から見るとまたあらたな発見があるかもしれませんよ。
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よかったら読んでみてください。
コメント
初めまして。すずめの戸締まりを観ました。私も「鈴芽は4才の時に死亡していた説」が有力な気がしてきました。
環さんは若くして他界。千果さんは西日本豪雨、ルミさんは阪神淡路大震災で被災して他界した。
草太の祖父は病院で延命していたが他界し,その後に鈴芽と会話をした。
芹澤さんが「2万円借りていたのは俺なんだ。でも草太は2万円を受け取らないだよ。」と言っていましたが,芹澤さんは他界しているので「受け取ることができない」のではないかと思いました。
物語の進行が都合良く進むのもファンタジーだからというのもありますが,「他界した物同士だから出会える」というのもあると思います。
千果さんの「あんたはなんか、大事なことをしとるような気がする。」のセリフからも未練を残して亡くなった魂同士が引き合うというか・・・。
4才の時の鈴芽の魂を17歳の鈴芽の魂が成仏(区切り)させ,17歳の鈴芽は「大事なものはもう全部、ずっと前、もらってたんだ」と気付くことで自分自身の魂を成仏(区切り)させる。
鈴芽の母親の娘を失った喪失感や絶望感も,草太から「鈴芽の魂が成仏した」ことを知らされることで,気持ちを閉じる(区切りをつける)ことができたのではないかと思いました。
と,まあ私の勝手な理由付けなんですが,「こがねさんの考察」を読ませていただいて,映画視聴後にスッキリしない場面やセリフがスッキリしたので感謝の気持ちも込めて書かせていただきました。コメント欄汚し大変失礼致しました。